第1部 南カリフォルニア
 第5章 砂漠を越えて(1)
  5月27日(火)Hwy138〜6月4日(水)Kennedy Meadow


5月27日(火)
 6時起床。Richardに起こされる。/白飯とフルーツ、こっちの人が緑茶と呼ぶお茶の朝食。/昨晩飲みすぎたせいか、ノドが乾いている。/パッキングして、写真を撮って、7時出発。早くも日差しが強い。/アクアダクトの上をてくてくと歩く。写真の枚数も増える。/今日はある程度楽しみにしていたデザートトレッキング。ジョシュアトゥリーもイメージどおりで嬉しい。/が、トレイルが完全なjeeproadなので単調。/10時15分、木の根元でベーグルを食べる。立ち上がったところでfreefallと会う。よく分からんが土日に街へ降りていたらしい。/しばし、話しながら歩く。/12時過ぎ、道を間違えて丘の上へ。モトクロスのコースのようなところ。以前、松本さんたちが来たというところだろうか。45分ほどロスする。/午後は気温がうなぎのぼり。14時過ぎに40℃になっている。さすがにきつい。/15時、Cottonwood Creekで水を補給。あまりの暑さに危険を感じ、17時まで木陰で昼寝。何もしなくても汗が止まらない。砂漠の怖さを肌で感じる。/17時15分、疲れた体にムチ打って出発。水と食料が重い。/18時過ぎからようやく涼しくなってきた。夕焼けがきれいだ。砂漠は日の出日の入りあたりが一番美しい。昼間は危険すぎる。/20:30キャンプイン。水も豊富で虫もいない最高のキャンプ。/明日はMojaveだ。freefallと部屋をシェアしようか。一人でも良かったが断るのもなんだしなあ。ま、いいか。/今日のハイクは良い経験になった。/危険なものほど美しい。またいつか、デザート・トレッキングをする日が来るだろう。/Today 23.0Mi Total 539Mi

 人が歩けないところ、とはどんなところか想像がつくだろうか。車が走れないところ、ならば答えは簡単だろう。道が狭かったり、平らでないところは車は走れない。平たく言えば、車輪が転がるように整備された道以外、車は走れない。それにくらべて、人の足という移動手段の走破性は非常に高い。どんな急峻な山岳でも、隘路であっても、少なくとも地面に直立して両足を乗せるスペースが連続してあれば、人は前へ進むことが出来る。そうした意味で人が歩けない場所は無い、と言ってもいい。

 しかし地球上には、人が歩いて入ることを拒む場所が確かに、ある。生物としての人間の恒常的な生存を許さない場所。文明の利器の力を借りてでしか、留まり続けること、あるいは通り過ぎることのできない場所がある。人はそうした場所を極地、と呼ぶ。

 ちょっと大げさかもしれないが、この日僕が歩いたアンテロープ・バレーもそうした場所のひとつだった。モハベ砂漠から繋がるこの赤い盆地の左端をトレイルは突っ切って北へ伸びる。気温40℃超。日陰ひとつ無い砂漠のトレイル。久々に、自然を怖い、と感じる場所だった。

 事前にガイドブックで、どれくらい暑い場所かは知っていた。水の重要性も、もしなんらかのトラブルで水を失えばそのまま生命の危機に直結する可能性も知っていた。そうした知識をもとにして、いったいどんなところやら、と、この日のコースはむしろ楽しみだった。しかし、40℃を越す気温と陽射しの前に、好奇心よりもこれは危険かも知れない、という勘のようなものが体中を駆け巡るのを感じた。このままここにいては死んでしまう、という生物としての本能の声を感じた。

 自然を前に、こんな感覚を持ったことが以前あったのを思い出す。記憶を探ると、砂漠とは全く正反対の光景が頭に浮かぶ。気温氷点下20℃の雪山の景色だ。砂漠と雪山。全く対照的な二つの場所に共通するもの。それは、人間の生存を拒否する熾烈な気象条件と、その厳しさが持つ荘厳なまでの美しさではないか。そしてその美しさに憑かれたがために、愚かな冒険者たちは幾度と無く、時には命を賭して、極地へと赴くのではないだろうか。
 
 この日の僕は日記に、またいつか砂漠を旅する日が来るだろうと書いている。きっと僕も、すでに愚かな冒険者の一人なのに違いない。
 

 

はるかシェラネバダ山脈からロサンゼルスまで水を運ぶLAアクアダクト(用水路)。魚釣りをする人もちらほらいるが、焼け死なないのか心配になる。
この写真は拡大して見てほしいなー。ひたすらまっすぐな道をひとり旅するバックパッカー。自己陶酔に陥る一枚です。
ついつい同じアングルで何枚も撮ってしまった。
途中からアクアダクトは地中に埋められたパイプの中に。中には水がたくさんあるはずなのに地上は乾ききった熱い空気が吹き付ける。
これでもかというくらいまっすぐな道が続く。正直、歩いているのがアホらしくなる。
しかし、性懲りも無くもう一枚。だって、空がこんなに青く大きいのだから。
ジョシュアトゥリーの木陰で休憩。貴重な日陰である。この木は死んだインディアンの生まれ変わりと言われ、いびつに曲がった幹と枝が少々気味悪い。
ジョシュアトゥリーの「森」。こうしてみると人の群れのようにも見えて、上記の言い伝えも分かるような気がする。
こんなところに人が歩くための道を作った人の気が知れない。見渡す限り一面の荒野である。
でも、僕は思うのだ。こんなところを一人で歩く自分は、この上なく、かっこいいと。
バックパッキングとは極めてナルシスティックな遊びだと僕は信じて疑わない。
今日のキャンプはこの先の山の中。もしあなたがバックパッカーなら、この写真を見て何か心動かされるものを感じてはくれないだろうか。このトレイルの先にあるものを見たい、と思ってくれないだろうか。
それくらいの力をもっている景色だと、思う。

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