第1部 南カリフォルニア
 第5章 砂漠を越えて(2)
  5月27日(火)HWY138〜6月4日(水)Kennedy Meadow


5月29日(木)
 7時起床。クーラーのせいか、ノドが痛い。シャワーを浴びる。/朝食はパンケーキ3枚、卵2個、ソーセージ4本のコンボ。重い。/彼女にTEL、また泣いているようだ。/9時前に松本さん登場。HWY178号沿いに食料を埋める。キャンプ場で水をチェック。/レンジャーステーションでガイドブックを買う。コーラがほんとにおいしい地域だ。/Tehachapiの日本食レストランでカツ丼。感動。/Kマートで水、アルバートソンでフィルム、郵便局で手紙をGet、絵葉書を投函。/Hwy58にパックをデポしてCameronRoadへ戻る。/空身で出発、眺めがいい。/19時前、Hwy58着。パックを回収して出発。重いが、涼しくて足取りは軽い。/21時15分、強風の中木陰にテントを張る。モハベとランカスターの夜景がきれいだ。/夕食はとりめし。明日は早起きして涼しいうちに一気に登りたい。/Today 11.8Mi Total 566.9Mi

気温40℃を越す砂漠の街、モハベでの休息。この日、トレイルに戻る前に、LAから松本さんが会いに来てくれた。この先、ケネディミドゥまで1週間近く無補給の区間となるので、途中に先回りして食料を埋めておこう、というアイディアのためにわざわざ一日をつぶしてもらったわけである。感謝、感謝である。
 しかも、Tehachapiには日本食レストランまで!ガイドブックには絶対載っていないけれども、日本人ハイカーには必須のファシリティ。こうした情報をまとめて、やはり本にすべきだろうか・・・?。(以下の写真は松本さん撮影。)

モハベの街のPCTハイカー御用達モーテル、ホワイトモーテル。トレイルから電話するとオーナーが迎えに来てくれる。このモーテルについては、後日談もあるが、それはまた別の機会にしようと思う。
部屋をシェアしたPCTハイカー、フリーフォール。
彼のジャーナルはこちら。なんでも、今年もPCTを歩いているらしいというウワサ・・・?
HWY178号線、ウォーカーパスに先回り。モハベの街から約94マイル、4日後に再び着くだろう。
ウォーカーさんという人が、1800年代後半に西部開拓の一行を連れてこの峠を初めて越えた、とかなんとか書いてあった。
ジョシュアトゥリーの根元に穴を掘って食料を埋める。人が見たら死体でも埋めてるのではないかと疑われたに違いない。
しかし、荷物が軽いということはそれくらい大事なことなのだ。4日くらいなら腐るまい。ただ、動物が掘り返して食べてしまわないかちょっと心配。
トレイルへの看板。右側のマークはPCT、左側のマークは土地を管理するBLM(ビューロー・オブ・ランドマネジメント)のマーク。
テハチャピの街で見つけた、トレイルではかなり貴重な日本食レストラン。しかも本物の日本人経営。鹿児島出身の人だった。入ると、「お兄さんたち、風車のひと?」と聞かれた。(このあたりには風力発電の風車があり、多くは日本資本らしい)
テハチャピの街の郵便局。町外れにあり、車の無いPCTハイカーにはやや不便。そうしたこともあって大半のハイカーはテハチャピではなくモハベの町で補給を行う。
この国の郵便制度については話したいことがたくさんあるので改めて書きなぐりたい。ライトウッドの町で紛失した荷物はここにも着いていなかった。
それにしても暑い。
トレイルは自転車、バイク、バギー、四輪自動車等乗り入れ禁止。まあ、場所によってはワダチだらけのところもあるが。
傍らにいるのはアラスカから来たストーン。妙な訛りで話す奴だった。
バックパックをデポして、ポーチひとつで再スタート。「スキップ(途中の区間をとばすこと)したら完全踏破とは言えないからな」(松本氏)
草原に消えゆく私・・・こういう写真は一人では撮れない。

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