第2部 雪のシェラネバダ
 第1章 ハイシエラの夏(1)
  6月5日(木)KennedyMeadow〜6月18日(水)RedsMeadow


6月5日(木)
 5時起床。レーズンフレークとお茶の朝食。思ったよりもみんなのんびりしている。/7時、DNAと一緒に出発。HappyやFreefallたちもそれぞれ出て行った。抜きつ抜かれつしながら進む。/DNAはLonePineに降りることにしたそうだ。いろいろと話しながら並んで歩く。40歳には思えない。まあ、いい奴だ。/12時、SouthForkKernRiver。気持ちの良い景色。/今日は15マイルだけの予定なので、のんびりしてから出発。/夕方、水をタンクアップするはめになり、予定外の労力にばてる。18時前、眺めのいいところでキャンプイン。/ビーフカレーとみそ汁の夕食。/蚊がひどいが、眺めはいい。DNAはしきりと星の話をしてくる。DNA Schoolの一日だった。Today 16.1Mi Total 715.5Mi

 ここで、友人をひとり紹介しよう。彼の名はPaul Stabach。コネチカットから来た40歳。東海岸のほうで分子生物学の研究者をしていたとかで、それにちなんでトレイルネームはDNA。キックオフパーティーで顔見知りの仲だったが、KennedyMeadowで追いついて以来、ほぼ最後まで同じようなペースで旅を続けることになった。PCTハイカー、ボーイスカウト出身者という以外共通項は何もなかったが、妙にウマがあうというのか、しばしば一緒に歩いたり、街では二人でよく飲みにいった。お互いカチンときたこともあったが、喧嘩するほど仲が良かった、ということなのだろう。
 
 LonePineの街で、北米支店さんにPickupしてもらった僕とDNAは、その晩二人で飲みにでかけた。なんの変哲も無い田舎のBarで、無愛想なおばちゃんのいるカウンターと、2台のビリヤード台、壁にはライフルと鹿の剥製という、いかにも西部劇に出てきそうな飲み屋だった。

バドワイザーと安い赤ワインでしたたかに酔っ払ったころ、DNAが聞いてきた。

 「T、この旅でお前がもっとも大事だと思うことは何だ?日本人初のPCTスルーハイカーになることか?」

そう、あのとき僕らは、この長い旅を続けるためにはなにか「こだわり」を持っていないと長続きできないんじゃないか、とかなんとかそんな話をしていた。たとえばいい写真を撮りたい、とか、できるだけ早くカナダへ着きたい、とか。僕は頭の中でゆっくりと単語を選びながら答えた。

 「確かに、日本人初という記録は名誉なことだと思う。だけど、それだけでは、終わらせたくない。僕は歩くことだけではなく、この旅の全てを楽しみたい。これが僕にとって最も大事なことかな。DNA、君はどうなんだ?」

 「俺のモットーは毎日が祝祭”Celebrate Everyday"ってことさ。わかるか?」

 ああ、わかるとも。世界は悲劇に満ちている。そのなかでこうしてトレイルを旅し、ビールを飲めること自体、祝うべき事柄じゃないか。僕らはさらに杯を重ねた。DNAは1ドル紙幣を取り出し僕に投げてよこす。壁際のジュークボックスで何かかけてこい、というのだ。「カントリー以外だ。カントリーはこの国で最悪の音楽だ」

 しかし、心配するまでも無く、僕の知っている曲は1曲しかなかった。席に戻り、タバコを吸う。DNAは普段は吸わないくせに酔うといつもタバコをせびる。けたたましいカントリーが終わり、僕の選曲がかかった。Earth Wind&Fireの”September”だ。

 どうしてこんな古い曲をお前が知ってるんだ?というDNAの問いには答えず、続けてタバコをふかしながら、僕は考えていた。September,9月。この旅の終わるころ。僕はどんな街で、誰と酒を飲んでいるのだろう。そして僕は何を想っているのだろう、と。

6月5日、昼前か。広大なKennedyMeadowをバックに。ここからシェラネバダが始まる。
DNAと。自転車も乗るらしく、バイクウェアをよく着ていた。
Kern River。山ひとつ越えただけでこんなにも水が豊富にあるのがよく理解できない。黒い点に見えるのはこの近くの橋に巣を作っていたツバメ。
稜線の切れ目からOwensValley(395号線)がちらりとのぞく。
空が青いなあ。トレイル・パスからホースシューミドゥへのくだり。
第2次大戦中に設けられたマンザナール日系人強制収容所跡地。ローンパインの街から車で20分ほどのところにある。山崎豊子「二つの祖国」でご存知の方も多いのでは。シェラにくるときには必ず立ち寄ることにしている。
ローンパインのレストランで北米支店氏と。ご家族でわざわざ迎えに来ていただいた。感謝。

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