第3部北カリフォルニア
 第1章 根性と人情のトレイル(1)
  7月1日(火)SouthLakeTahoe〜7月21日(月)Castella


7月3日(木)
 5時半起床。LakeTahoeの向こうに上る朝陽がきれいだ。寝袋の中から眺める。/6時45分出発。/8時半、稜線から彼女にTEL。良く聞こえる。/TELしていたら、Burgfishに追いつかれる。彼はずいぶんペースが遅い。/もうひとりのハイカーに追いつかれる。タイソンと会う。/一日、タイソンと一緒に歩く。気持ちのいいやつだ。当初の予定では必要なかったが、タイソンと一緒にPoohCornerへ行くことにする。靴もずいぶん慣れてきて快調に歩く。/パックがずいぶん痛んできた。使い方が悪いのか、素材が弱いのか。/トレッキングポールが大破。一本は抜け、一本は曲がる。/18時、予定通りDonnerPass到着。ケイタイが活躍。PoohCornerに迎えに来てもらう。/湖畔の別荘街の家。親切な老夫婦。/Tincup,Jefと会う。サラダ、ライス、ハンバーガーの夕食。/Truckeeの街まで買出しに出て、ビール、ナッツ、マウンテンデュー、シュークリームをGet。ヤスヒロさんにTEL。/明日はまた早いらしい。ま、予定通りか。洗濯も出来て満足。/Today 26.0Mi Total 1150.1Mi

 正直言って、北カリフォルニアは辛い。距離は長いし、季節はどんどん暑くなる。感動の連続だったシエラネバダに比べて単調な景色もハイカーの心を倦ませてしまう。水場には蚊が乱舞し、トレイルの整備状況も悪い。SouthLakeTahoeからオレゴン州境の街SeiadValleyまでの約600マイルは脚力のついてきたスルーハイカーにとっても試練の1ヶ月だ。(DataBookでは、Beldenから北をNothernCaliforlnia、それまでをCentralCaliforniaとして区分しているが、僕の印象ではシエラはソノラ・パスあるいはSouthLakeTahoeで終わったような気がしているので、あえて誤解を恐れず区分する)

 でも、こんな辛いことだらけのセクションでも、僕の記憶は色褪せていない。いや、辛いところだったからこそ、このあたりで出会った人たちのことを忘れられないのかもしれない。写真は少ないけれど、彼らへの感謝をつづりたい。

 EchoLakeの北70マイル、DonnerPassの近くに、PoohCorner(プー・コーナー)という家がある。熊のプーさんみたいなトレイルエンジェルのおじさんがいるお宅だ。かなり昔からの有名な家らしく、キックオフパーティーでもその話を聞いた。他のハイカーと連れ立って、好意に甘えることとした。どうやら夏の間だけ、この湖畔の別荘に移ってきて、ハイカーをもてなして楽しんでいる様子。英語で、‘Thank you『ありがとう』’に対して‘It's my Pleasure『どういたしまして(直訳すれば、<私の喜びです>)』'と答えることがあるが、まさにそういうことなんだろう。トレイルエンジェルという存在を「キリスト教的な奉仕の精神に根ざした固有のもので・・・」と理屈付けることもできるかもしれないけれど、つまるところは、もてなすほうも、もてなされるほうも楽しいから、ということに違いない。
7月1日、SouthLakeTahoeの街をでてEchoLakeからトレイルへ戻る。新品の靴もまぶしい。EchoLakeにも郵便は送れるが、不便。SouthLakeTahoeの街を補給地と考えて吉。
レイク・アロハ。まだ残雪も多く、シエラの面影が残っている。トレイルは湖畔を進むが、雪解けで水位があがり、ほとんど見えなかった。もっと写真を撮っておけばよかった。綺麗な湖である。
バーカー・パス。このあたりは風景も単調なので写真も少ない。
フォトグラファー、タイソンに撮ってもらった一枚。ピントもあっていい写真。手に持っているのはパワーバー・ハーベスト。サウスレイクタホで床屋へ行きそびれたので髪の毛がぼさぼさ。
7月4日朝、プー・コーナーのおじさんに送ってもらう。本名は忘れてしまった。このあとこの峠でだらだら日本に電話していたら、石部さん夫妻が登場。プーコーナーを紹介し、電話を貸してあげる。マサさんは’Are you プーさん?’と話しかけていた。

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