第3部北カリフォルニア
 第2章 さらばカリフォルニア(3)
  7月21日Castella〜7月29日CA−OR州境


7月27日(日)
 5:45起床。6時半過ぎ出発。涼しいうちにてくてくと歩く。/10時前に石部夫妻を追い抜き、あとはひとりで街を目指して歩く。街まで2泊する予定だったが、頑張って一日で行くことにする。/4400Feetの下り。ひたすら黙々と歩く。暑い。/17時、GriderCreekCampGround。ここからえんえんと車道なのでヒッチハイクの予定が、車は一台も無く、さらに5マイルの歩き。他力本願はやはり駄目なのか。/Hwy96にでたところで歩きながらヒッチ。あと半マイルほどだったが止まってくれる。/ストアで下りる予定だったが、ストアもレストランも閉まっている。DNAと会うが、RVパークはいけてないとのこと。/ごちゃごちゃ話している間に、乗せてくれた夫婦が家に招いてくれる。/招いてくれたRalphの弟は9.11にニューヨークで亡くなったとのこと。9ヶ月間親子で遺体を捜したらしい。あの悲劇を身近に体験した人にここで会うとは思わなかった。家族皆消防士だったが、このテロの後リタイアして、今は宝石加工の仕事をしているらしい。悲劇に巻き込まれた人々を目のあたりにして、考えさせられること多し。/夕食は短粒米とステーキ、海苔、きゅうり、日本茶(奥さんはコリアン)。味付けに感動。/マツタケの干したのまでもらってしまう。感動のひとこと。/まさにトレイル・マジックの一夜だった。歩いてよかった。/Today 35.1Mi Total 1657.0Mi

 トレイル・マジックという言葉がある。先日の「世界・ふしぎ発見」でアパラチアントレイルが取り上げられていた際に紹介されていたらしいのでご存知の方もいるかとは思うが、ロングトレイルを旅するハイカーの間で、奇跡のような出来事、たとえば困っているときに誰かが偶然手を差し伸べてくれたり、もう会えないだろうと思っていた仲間に予期せず再会したり、といったことがらが起こったときに、あれはマジックだ、と言ったりする。SeiadValleyでの一夜は僕にとっても印象深いトレイルマジックの一夜だった。

 今回の旅の中でも、35マイル以上歩いたのはこの日だけだ。へとへとになってたどり着いたSeiadValleyの街(集落というのがふさわしい)はすでにストアもレストランも閉まり、モーテルもなかった。かろうじてハイカーが泊まれそうなのはRVパークだけだったが、通りがかったDNAは「あそこはいけてない。俺はそのへんの茂みででも寝るよ」と言って去っていってしまった。途方にくれていたところに、ストアまで送ってくれた夫婦が声をかけてくれたのだった。

 大きな犬とオウムが家の中をうろうろする不思議な家だったが、コリアンらしい奥さんと、のどの手術をしたばかりで声がでないというだんなさんは親切にもてなしてくれた。奥さんの手料理は醤油ベースのアジア風味付けで、この国のイカれた味覚に辟易していた僕にとってこれ以上無いごちそうだった。ジップロックに「Matsutake」と書かれた干し松茸が出てきたのには驚いた。裏山でいくらでも取れるという。

 食事を終えて、テレビの上にあるヘルメットのことを聞いてみた。消防士なんですか、と。そして返ってきた話が、日記に記したとおりの事柄だった。父親と自分、そして弟の3人とも消防士だったこと、弟はニューヨーク(NYFD)のレスキュー隊員だったこと、9.11のテロの際、弟は世界貿易センタービルに向かったこと、そしてそのまま帰らず、父親と二人で9ヶ月間瓦礫を掘り返しつづけたこと・・・。

 言葉を詰まらせていると、弟がテレビに出たんだ、と言って一本のビデオを見せてくれた。日本でもよくあるような「ニューヨークレスキュー隊24時」みたいな番組だった。燃えるビルに飛び込む男たちの画面を見つつ、これが弟だ、といって指差してくれた。奥さんは「何回同じものを見るのよ」といいながら、目には涙をためていた。

 この旅に出る直前、アメリカはイラク戦争に踏み切っていた。トレイルが位置するのは民主党支持傾向の強い西海岸沿いということもあるし、またバックパッキングというリベラルな思想に拠ってたつ遊びの性格上、出会う人たちのほとんどはこの戦争や現ブッシュ政権の方針に批判的な見方をもっていたし、また僕もそのひとりだった。しかしこの日、実際にテロによって肉親を失う悲劇に巻き込まれた人々の存在を具体的に知ると、物事を単純に外部からのみ判断し、批判することの浅さを気づかされた思いがした。悲劇に対して力で報復することの是非を今は問うわけではない。ただ、アメリカという2億4千万人が暮らす社会のなかの、ひとつの肉声に触れ、その声が問うところを考えさせられた夜だった。

 翌朝、出発前に、ジップロック一杯の韓国海苔とマツタケに加えて、ちいさなタイルとガラスのかけらを手渡してくれた。グラウンド・ゼロで拾ってきたものの一部だという。お守り代わりに彼の勇気を、と言って旅の無事を祈ってくれた。僕はいつの日かニューヨークを訪れることがあれば、彼の勤務した消防署を訪ねることを約して、オレゴン州境へと歩を進めた。
 
7月25日。山間からエトナの街が見える。のどかな、ちいさな街だった。
エトナの街の隠れ家的モーテル、ハイカー・ハット。普通のペンションなのだが、ハイカー用の小屋を併設していて格安で泊めてくれる。上品な朝ごはんをいただける。ガイドブックには乗っていない、穴場の存在。
ハイカーハットにて。髪が伸びすぎてるな。
SeiadValleyにて泊めてくれた元消防士のRalph。かなりファンキーな親父だった。
トレイル・マジックの夜を演出してくれたGeidal夫妻。今年の秋もマツタケはとれたのだろうか。

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