第5部 ワシントン
 第2章 トレイル閉鎖!?そしてカナダの大地へ(3)
  9月5日(金)Stehekin〜9月9日(火)ManningPark CANADA


9月9日(火)
 6:30起床。昨晩妙に冷え込むと思ったら、テントが久しぶりに凍結している。シュラフの性能に感謝。アンダーウェアだけで眠れるのはありがたい。/干し物はどれひとつとして乾いておらず、ソックスはいいがズボンが乾いていないので仕方なく、下はアンダーウェアに雨具を着て出発。気温が根本的に低い。/一面に霜が降りて一夜にして秋の装い。濡れたソックスと靴に足を入れるのがつらい。/

 スイッチバックを登り、朝陽を浴びる稜線歩き。これだからバックパッキングはやめられない。/途中で濡れたズボンにはきかえ、乾かしながら歩く。/10:30過ぎ、Castle Pass。PCTに戻る。予想より早く着いた。/カナダ国境目指し、Gentlyな下り。/

 11:45、U.S-CANADA国境。10mほどの幅で木が切られている。モニュメントで記念撮影。/この瞬間に何を思うのか楽しみだったが、まずは安堵感が大きく、その後、2600マイルってこんなものか、という感じ。/Split-peaと二人して「終わったよー」というため息をついて、ManningParkを目指す。/8Mi,並んで話しながら歩く。

 15時、ManningPark着。シーズンオフのリゾート地。つくりは立派。/シャワーを浴びて、レジスターに記帳。山火事のせいか、前に7人しかいない。みんなどうしたのだろう。/彼女と自宅にとりあえずTEL。/夕食はレストランでステーキ、サラダ、ビール×2、30$。ATMが壊れていてカナダドルが引き出せないのが不便。/松本さん、北米支店さんにTEL。テレカが無いのでカードでかける。いくらかかるのかわからないので怖い。/

 疲れていてあまり考え事ができない。2泊しようかと思ったが、ここでは何もすることがないので、明日Vancouverへ出よう。それから考えるかなー。/無事に旅は終わる。

 PCT最後の夜は、冷たい氷雨に芯まで濡れそぼる、悲惨な夜だった。とても感慨にふけるといった余裕はなく、バックパッキングなんてもーたまらん、と言いたくなる夜だったが、これだからバックパッキングはやめられない、とも思わせるシビアな山の一夜だった。

 そして、とうとうその時がきた。いや、きてしまったというべきだろう。メキシコ国境から142日目、2650マイルの距離を経て、国境は僕の前に現れた。高い壁に覆われたメキシコ国境とは違い、森の中の木を切り倒して線を引いてあるだけの空間。ここが、僕のゴールなのだ。

 3年間考え続け、会社を辞めて、いざ到達したその瞬間に、何を思うかは自分自身でも楽しみだった。興奮の爆発なのか、至上の幸福なのか、はたまたかつてない達成感なのか。その答えは、拍子抜けしそうだったが、まずは安堵感だった。自分がいままで目指して行ってきたことが結果として報われたという安堵。いまこうして振り返るとなんと小心なとも思うが、そのときの感情は日記に書いてあるとおりなのだろうから仕方が無い。

 ただ、安堵の次に現れた感情は寂寥だった。旅が終わってしまうこと、目標が、夢が達成されてしまうことの寂しさ。これは今まで考えたこともなかった感覚だった。今日まで毎日、明日はどこまで歩こう、街に着いたらこれをしよう、と考えながら歩いてきた。それが、もう考える必要がない。明日、もう歩きだす必要はないし、トレイルは終わってしまったのだ。

 ManningParkのレジスターを書きながら、僕は気づいた。明日、また歩き出すためには、目標が必要なんだ、と。そして、目標に向けて歩む日々はこの上なく楽しい日々なのだ、ということを。

 幸いにして、次の目標には事欠かない。どれから手をつけるべきか、カナダの地で僕は幸せな悩みを抱えつつ夜を過ごした。

9月9日、朝。氷雨の降った昨夜から打って変わって快晴に。もうあの山並みはカナダに違いない。
国境まで、これが最後のサインボード。
森の中に、一筋の線が走る。これが、アメリカ−カナダ国境。出入りは、つまり自由ってことなんだろうか。
9月9日(火)、午前11時45分。旅が終わった瞬間。
Welcome To CANADAの文字。カナダなんだなあ。
山火事注意の看板。きちんと、PCTハイカーは入っても良い、と書いてある。
Strech,Split−peaと三人で、PCT踏破祝賀会。
ManningParkのレジスター。なんか色々書いた。
この写真は大きくしません。何が書かれているか知りたい方はぜひ歩いて行ってみて下さい。

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