はじめに
パシフィック・クレスト・トレイル、そしてバックパッキングについて

トレイルの歴史的経緯
パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)。正式名称はパシフィック・クレスト・ナショナル・シーニック・トレイル(PCNST)という。このトレイルの起源はさほど古くない。そもそも、1800年代に西部開拓に挑んだアメリカ人にとって、カスケード山脈及びシェラネバダ山脈のような大自然は、眼前に立ちはだかる大いなる障害でこそありすれ、レクリエーションの対象とはなりえなかったのは想像に難くない。現存する最も古いPCTトレッキングの記録としては、1913年にヨセミテの北、トゥオルミー・ミドゥーからレイク・タホまでを旅したパーティーのものが確認されている。
1920年、現在のPCTに重なるオレゴン・スカイライン・トレイル(マウント・フッド〜クレーターレイク)が合衆国森林局によって建設される。この頃になってようやく、開拓・生活のためでなく余暇のひとつとして山道を旅するという文化が西海岸に生まれたようである。(ちなみに、フォード社がベルトコンベアーによるT型フォードの大量生産を開始したのが1914年、世界で初めての国立公園法が施行されたのが1916年であったことを鑑みると、『あえて』自分の足で自然を歩くという、トレッキングあるいはバックパッキングという遊びが一般化したのはこの時代であったと考えてもよいだろう。)
1926年、とあるひとりの女性がカナダからメキシコまで続くトレイルのアイディアを語り、それがベーリンガムのマウンテンクラブに伝えられた。そのアイディアはすぐに他の山岳協会やアウトドア・クラブへ熱狂をもって広がり、1928年にはオレゴン・ワシントン州を管轄する合衆国森林局の支援するところとなる。前述のオレゴン・スカイライン・トレイルの延伸、ワシントン州を縦断するカスケード・クレスト・トレイルの建設も進み、1937年にはオレゴン−カリフォルニア州境からUS−カナダ国境までPCTのマーカーが設置された。
しかし、カリフォルニア州を管轄する森林局はこの動きに同調しなかった。このことは返ってPCTのカリフォルニア州部分のみならずPCT全体の建設への運動を個人の間に広めることとなる。1932年、ロサンゼルスの山岳協議会議長を務めていたクリントン・C・クラークは他州の山岳協会・アウトドアクラブ等の賛同を集め、パシフィック・クレスト・トレイル・システム会議を結成、合衆国森林局及び国立公園局に対しPCTの建設を提案する。以後25年にわたってクラークは同会議の議長を務め、PCTの父と呼ばれる働きを残す。
1935年から4年間にわたり、クラークはYMCAの協力を得てウォーレン・L・ロジャースと少年達をメキシコからカナダへと続くルートの調査に送り出す。PCTシステム会議の事務局長でもあったロジャースは、1957年にクラークが死去したあとも運動の中心となってPCTの設立に尽力した。
1965年、連邦野外レクリエーション局内の委員会は議会に対して4本のナショナル・シーニック・トレイルの創設を答申する。すなわち、アパラチアン・トレイル(AT)、PCT、ポトマック・ヘリテイジ・トレイル、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)である。1968年、議会はナショナル・トレイル・システム・アクトを制定し、これにより最初のナショナル・シーニック・トレイルとしてアパラチアン・トレイルとパシフィック・クレスト・トレイルが整備される枠組みが出来上がったのである。
その後、4年の歳月を経てルートが作成され、1972年に初めて公式のルートとマップが森林局より公表される。しかし、この段階ではまだトレイルが整備されず完全なクロスカントリーを強いられたり、私有地の土地所有者との交渉が着かず、迂回路を使用しなければならない箇所も多かったようである。私有地の通行について最終的に了解が得られ、公式に完成したのは1993年6月5日のことであった。
参考文献:Jeffrey Schaffer他 Pacific Crest Trail Southern California §1The PCT,Its History and Use
参考リンク:http://www.pcta.org/about_trail/history.asp

 旅立ちまで(1)に進む