プロローグ 旅立ちまで(1)

<2001年6月24日福岡県福岡市〜2003年4月15日千葉県船橋市>


2001年6月24日 25:30 福岡県福岡市

・・・/今日から日記をつけることにした。2年先と目標を決めた以上、残された時間は決まっている。その時間を如何に使うか。これはその記録であり、また自戒だ。/一人暮らしは楽だ。何も変わらなくていいのならば。易きに流れることの無いよう、この日記を付けよう。そして、2年後にはCampoでこの日記の続きを書いているように。/PCTへの道はもう始まっている。完歩できるかどうかは、今日も、明日も、一日一日歩みを進めるかどうかだ。/そろそろ僕も男を賭けて冒険に出る頃だ。植村直己曰く、『男は、一度は体を張って冒険をやるべきだ』/僕の冒険はもう始まっている。

 いつPCTの存在を知ったのか、今となってはもう思い出せない。ジョン・ミューア・トレイルの踏破を終え、持ち帰った資料の中にあったPCTの地図を壁に張り、これを全部歩いたら凄いだろうな、という漠然とした憧れをもったまま僕は大学を卒業し社会へと押し出されていった。
 PCTへの憧れをはっきりとした決意として記したのはこの日の日記だった。この月、僕は研修を終えるや否や九州支社に配属され、初めての一人暮らしを始めたところで、はっきりとした目的意識をもたないまま就職してしまった僕にとってこのまま会社員として飼い慣らされてしまうのはたまらなく嫌だった。居心地のいい会社だっただけに、それに満足してしまうのが不安だった。僕はまだ自分の力で何もしていない、一人では何もできないままなのではないかと怖かった。
 そして、僕は決意を固めた。一人で冒険に出よう、と。そのとき僕の前にあったのがPCTだった。4200kmもの道程を5〜6ヶ月かけて歩いていくなんて、当時の僕にとっては大冒険に違いなく、想像するだけでも震えるように楽しかった。また、全行程を踏破した日本人がまだいないことも魅力的だった。
 バックパッキングというスタイルも気に入っていた。一人で、自分の持てるだけの荷物を背負い、リスクも責任も自分ひとりで背負う代わりに、誰にも負担をかけない。自由と自立の物語。とりたてて特別な装備や技術が必要なわけではなく経費がかからないのも好都合だった。
 PCTを歩くことで何を得られるのか、なんてことはどうでもよかったし、考えたことも無かった。僕は、自分の意志で、自分のやりたいと思ったことを実現させてみたかった。砂漠に沈む夕日を眺め、雪に覆われたシェラの峰を踏んでみたかった。
2003年、PCT踏破。僕のPCTはこの瞬間に始まった。

写真:福岡の自室(めがね氏撮影)


はじめにへ戻る 旅立ちまで(2)へ進む