プロローグ 旅立ちまで(2)

<2001年6月24日福岡県福岡市〜2003年4月15日千葉県船橋市>


2001年11月5日(月) 24:00 福岡県福岡市
 今日でもう福岡に来てから5ヶ月が過ぎたことになる。まだ5ヶ月という気持ちと、もう5ヶ月という気持ちが入り混じる。/しかし、肝心なのは。この5ヶ月で僕はどれだけ変われただろうか。PCT日記と名付けたように、僕はPCTのスタートラインへどれだけ近付けただろうか。/貯金はこれから。ホームページの訳もこれから。運動不足・体力の衰えは隠しようも無く、英会話に至っては手付かず。/5ヶ月前と何も変わっていない自分に焦りと苛立ちを抑えられない。/今日は家計簿を買った。/仕事と日々の生活に余裕が出てきたからこそ次の一歩を踏み出さねば。/・・・

 PCTへの挑戦を決意したからといってすぐに目に見える準備を始められたわけではなく、当初は仕事や新生活に慣れるのに忙しくてそれどころではなかったというのが正直なところだった。日常が安定し、毎日が淡々と流れるようになると、今度はその中でどうしたらPCTへのモチベーションを維持できるかが一番の問題だった。
 そんなとき自分を奮い立たせるために手にとっていたのは先輩達の冒険記だった。植村直己『青春を山に賭けて』や堀江謙一『太平洋ひとりぼっち』などを繰り返し読んだ。誰だって最初から冒険家だったのではなく、また特別な才能を持って生まれてきたわけではない。この事実は一介のサラリーマンに過ぎない僕にとって大きな支えであり、自信となった。『植村直己“だから”できた』のではなく、『植村直己“は”できた』への意識の変化。そしてそれは、『じゃあ“自分は”冒険へ出れるのか?』という問いへと変化していく。僕は、PCTへの挑戦を具体化する作業に少しづつ取り掛かった。
 
 まず最初に手をつけたのが資金の確保だった。少なくは無いにせよ取り立てて多くも無い収入だったが、幸いにも会社の寮に入っていたので住宅費がかからず、その分を積立てることにした。毎月5万円×2001年11月から2003年3月まで17ヶ月=計85万円。それに加え、2001年冬・2002年夏&冬のボーナス×40万円=120万円。合計約200万円の貯金目標を立てた。
 手元にあれば使ってしまうのが人の常。給与が振り込まれると同時に天引きして別口座に積立て、ボーナスは毎回支給日に銀行へ行って振り替えた。友人が新車を購入したり、嫁をもらったりするのを横目に眺めつつ、残高が少しづつ増えていくのを楽しみにしていた。
 (こう書くといかにも我慢してお金を貯めて夢を実現した、という成功譚に見えるが、実際のところは安い酒で連日酔っ払い、時には中洲で記憶を無くすまで飲んでいたりするわけで、決して節約に励んでいたわけではなく、またそのつもりもなかった。)
とはいえ、この資金的裏づけがきちんと取れたのが、2003年のPCT挑戦を可能にした第1の要因だったと思う。
 スポンサーもサポートもつかない普通のサラリーマンが冒険に出るためには何よりもまず『時間』と『資金』を揃えることが必須用件だ。『時間』については後述するが、この準備こそが何よりも大変で、ある意味冒険そのものよりも手間隙がかかる。夢や冒険といった華やかな言葉の実現は、地味な現実に支えられているといってもよいだろう。

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