第1部 南カリフォルニア
 第4章 トレイルエンジェル!(2)
  5月11日(日)ビッグベアシティー〜5月26日(月)HWY138


5月16日(金)
 5時起床。日の出を見る。DaveとJohnも早い。/0615出発。AcornCanyonを下るつもりだったが、Hwy2を降りたほうがいいとのことで、さらに7マイル。/12時15分、Hwy2。JohnとヒッチしてWrightwoodへ。送ったBoxが届いてなくて戸惑う。/HostfamilyのJolyの家へ。/グレンとDieselが先着。シャワーは水だった。/ランチ、ドリンク、ランドリー、ディナー(ラザニア)のフルサービス。/グロせりーストアで買い物。イチゴのデザート/北米支店氏とは電話通じず。松本さんとアポイント。/至れり尽くせりなんだけど、相部屋に大人数で落ち着かない。ま、これもいいか。/明日、無事に出発できるといいが。まあ何とかなるだろう。明日ゆっくり書こう。 Today12.9Mi Total 371.9Mi
5月17日(土)
 午前7時起床。Johnは早く起きてコーヒーを入れてくれていた。/7時過ぎにばらばらと起床。朝食は出してくれないらしく、皆適当に食べていたので僕もベーグルとバナナをかじる。/Johnは8時過ぎにトレイルへ戻っていった。/いったい、今日これからどうなるのかはっきりしない。Jolyおばさんも姿を見せない。/DieselとGrahamは一日ここでステイするという。ロード・オブ・ザ・リングを見始める。/郵便局での荷物のPickupが不安になってきたのでDieselに郵便局へTELしてもらうが、荷物は今日になっても届いていないとのこと。/北米支店氏にTEL、状況を説明するもシカゴにいるとのことでいかんともしようがない。箱は月曜日にレギュラーで送ってもらったが、やはりPriolityでないとこの国の郵便事情は当てにならないようだ。/Dieselに頼んで、郵便局の局員に荷物が届いたらテハチャピに転送してもらうよう依頼。/居心地が悪いのでとりあえずトレイルに戻りたい。/パトリックとハッピーが合流。/よくわからんがますます居心地が悪い。/彼らは映画を見に行くとか言っているので、Dieselに手紙の投函を依頼して彼らと別れる。/DanとJolyは不在だったので子供によろしく伝えて家を出る。/Hwyに出て、初めてのヒッチハイク。4台目で捕まえる。/PCTハイカーだというと荷台に乗せてくれた。/小さな子供4人を乗せたおっちゃん。いい経験になった。/13時、トレイルに戻る。15時VincentGap/16時 LamelSpring。ここでキャンプするつもりだったが、水はあるがスペースがない。/仕方なく水を担いで頂上を目指す。/17時45分、Mt.Baden-Powell山頂。やはり、ボーイスカウトのB-Pだった。感動。/山頂にテントを張る。8500フィートから上は雪で埋まっていた。/夕食はビーフジャーキー、パワーバー、チーズ、味噌汁。/20時ごろ、日が沈む。いい夕焼けだった。/街もいいけど、やはり自然の中がいい。幸せな夕暮れの時間。写真を何枚も撮る。/補給ができなかったのでお茶がないのが残念。/松本さんにTEL、明日のピックアップについて再確認。電話が通じてよかったが、電池が危ない。充電器は箱の中。/明日、松本さんのサポートを受けて体制を立て直そう。一人のテントが落ち着くなあ。/風が強くなってきた。天候が悪化しないことを祈ろう。 Today 8.4Mi Total 380.3Mi

ビッグベアシティの街からはるばる90マイル(約150km)、ライトウッドに入ったのは5月16日のことだった。モーテルを探そうとすると、ジョンがその必要はないよ、と言って街の中のアウトドアショップに入ると一冊のノートを取り出してきた。PCTが通る街の郵便局やアウトドアショップには『レジスター』と呼ばれるノートが備え付けられていて、ハイカーたちは思い思いにその足跡を記してゆく。時にはトレイルのコンディションや次の街の情報、とりとめもない詩みたいなものを書き付けたり。僕も日本語や英語でその時々の思いを書き散らしてきた。

 ライトウッドの街のレジスターにはホストファミリーの情報が書いてあった。ホストファミリーとは、PCTハイカーをボランティアでもてなしてくれる家のことで、何軒かの情報が記載されている。その中から、無料で泊めてくれる上に食事、洗濯までしてくれるというJolyの家に電話して、迎えに来てもらう。あいにくシャワーが故障中でお湯が出なかったのを除けば、いたれりつくせりのもてなしを受ける。ただ、この日はほかのハイカーも泊まっていて少し窮屈だったのと、いまひとつ意思の疎通が図れなかったこともあって早々にトレイルに戻ることにした。

 それよりも困ったのが、補給ボックスの未着であった。僕は予備の食料や燃料、フィルムや着替えを箱に詰めて、歩いてゆくのに並行して次の補給地の街の郵便局へ局留めで送っていた。街に着いたら郵便局で箱を受け取り、必要な分だけ食料等を補給し、あるいは不要になったもの(撮り終えたフィルムなど)を詰めてさらに次の補給地へ送るのである。ビッグベアシティの町で北米支店さんに預け、ライトウッドの街へ郵送を依頼したその箱が、なんの手違いか、届いていなかった。食料などは買いなおせばいいが、撮ったフィルムが無いのは辛い。なによりも、この先のガイドブックが無くてはルートすらわからない。(PCTのガイドブックは2冊組で広辞苑ほどの重さなので、ちぎって必要な部分だけ持つようにしていた。幸い次の街までの分は持っていたのでよかったが・・・)郵便局に問い合わせても要領を得ないし、いつでてくるかわからない箱を待っていても仕方が無い。そこで、箱が届いたら先の街へ転送してもらうよう依頼をして、街を後にした。
 初めてとなる一人でのヒッチハイクをしてトレイルに戻り、誰一人いない山の頂で夕焼けを眺めながらテントを張る。賑やかな街もいいけれど、この景色にはかなわない。ひとりになれる幸せを感じながら、刻々と変化する空の色を瞼に焼き付けた。

5月17日、トレイルに戻る。ここまでで全体の8分の1くらい。
尾根のふきっさらしにじっと耐える巨木。ボーイスカウト運動ゆかりの人の名前がつけられている。
WALLYの木。(上の写真)アメリカのボーイスカウト運動の功労者の名前がつけられている。ちなみに樹齢は1500年以上らしい。
5月17日夕刻、Mt.Baden Powell山頂(標高約9200フィート)。雪だらけで上るのに難儀した。この日はここでキャンプ。
ボーイスカウト運動の創始者、ベーデン・パウエル卿の名を冠した山。卿のレリーフと、ボーイスカウトの誓いと掟が刻まれている。
僕がこの旅に出たそもそものはじまりがボーイスカウト活動だったことを思い起こすと感慨もひとしお。
この日の夕焼けは美しかった。人生でそう何度も見られる景色ではない、と思うような空の色だった。

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