第2部 シエラネバダ
 第2章 ヨセミテの北(3)
  6月23日TuolmneMeadow〜7月1日SouthLake Tahoe


6月29日(日) 
 5時15分起床。明るくなると同時に蚊が襲ってくる。モスキートネットをかぶって朝食。タープを張らなかったので早い。/6:15出発。さくさくと歩く。/7:20、DNAに追いつく。予定通り。/二人でHwy50を目指して一気に下る。/9:15、Hwy50手前の別荘地で親切なおばちゃんに乗せてもらってSouthLakeTahoeへ。大きな街だ。/スタバでカフェラテを飲んだあと、モーテル探し。モーテル6はチェックインが16時からというのであきらめて、近くのマッターホルン・インという民宿のようなモーテルへ。インド人の家族が経営するおかしなモーテルだが、必要なものは揃っている。/シャワーを浴びて、ひげをそって。/ハンバーガー屋でダブルバーガー。第2次世界大戦時の新聞が張ってある。/バスに乗って湖畔の中心地へ。完全なリゾート地。マリオットホテルなどの高級ホテルが立ち並んでいる。/二人で新しい靴を探す。SportsLtd.で石部さんたちと再会。彼らも靴を探している。不思議なくらい同じことをしているなあ。/トモさんと同じ靴を買う。かなりいい感じ。/夕食を断ってモーテルへ戻る。ランドリーを回す。/DNAは明日トレイルへ戻るらしい。僕はもう一日ここで休息することにする。/夕食はDNAにあわせてピザですます。マウンテンデューが美味。/MTVとCNNを見ながら、戦争のことなどについて話す。/手紙を書こうと思ったが、疲れているのかその気にならず。ま、明日ひとりでのんびりしよう。写真や床屋へ行くのもいいだろう。/早く歩くのはいいが、何か大切なものを忘れていないか?楽しんでる?飽きてない? Today 8.4Mi Total 1089.4Mi

 湖畔の別荘地、サウス・レイク・タホ。琵琶湖と同じくらい?の大きな湖の南側に広がるこの町は、ちょうどカリフォルニア州とネバダ州の境でもあり、カジノが合法化されているネバダ側は特に賑やかな観光地だ。トレイルからは30分ほどのヒッチハイクが必要だが、LAからこのかた、険しいシエラネバダを抜けてきたハイカーにとっては、足を休め、痛んだ装備を整えるのにちょうど良い街だ。
 この街には2泊し、靴を買い換えたりして体を休める。いつか書いたけれど、街ではいろいろとすることがあって、本当に忙しい。

 4200kmのバックパッキング、というとみな驚いてくれるけれど、結局は手前の街から次の街までの何kmか、長くてもせいぜい250km・1週間程度のバックパッキングの繰り返しにすぎない。街で次の街までの食料を計算して買い込んで、それを食べながら歩いて、食べつくす頃に街に着いて、ビールをたらふく飲んで、また食料を買い込んで次の街へ。それを半年繰り返すとメキシコからカナダまで着いてしまう。それだけのことだ。それだけのことなんだけど、それがまた楽しいのだ。

 旅の終わりの頃、歩きながら石部さんと「この旅で印象深い街BEST5」とかなんとか話した記憶がある。たしかこのサウス・レイク・タホもランクインしていたっけ。いつかまた観光ででも訪れることはできるだろう。だけど、あの日新しい靴を手にしたときの軽い興奮や、ひさびさの日本食にかぶりついたときの幸福感はもう味わえないだろうと思うと、すこし寂しい。
サウスレイクタホで泊まったマッターホーン・イン。アメリカでインド人がスイスの山の名前の宿を経営。まさに東西古今の文化のうしお、ひとつにうずまく大アメリカといったところか。なんでも、モーテルの経営者はインド人が多いらしい。この街は宿が多いのでモーテルが安い。クーポンをGetして安宿を探そう。
DNAと買い物。このころは良くこいつと遊んだ。上の看板をみてもらうと、NaturalFoodと書いてある。彼はよくOatsやドライフルーツをいろいろミックスしては煮て食べていた。自然志向の強い東海岸人らしい。
メキシコ国境〜ビッグベアシティおよびレッヅミドゥ〜サウスレイクタホまで、ざっと約500マイルほどを歩いてきた1足目もここでダウン。そのうちギアの表に書くが、トータルで靴は3足。ここで買い換えた靴は最後まで履きとおした。
日本食レストランにて石部さん夫妻と豪華ディナー。久々に日本語でいっぱい話せてストレス解消。この先日本食レストランはしばらく無い。ポートランドだろうか?
すきやき定食、握り寿司、揚げ出し豆腐、そして「挑戦する男たち」アサヒスーパードライ!!(アメリカはサッポロ黒ラベルは多いがそれ以外はほとんどみない) 
お会計はしめて$60超。高いか安いか。それは僕が決めること。
至福の笑顔。いい写真だ。

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